宮崎信也と中沢新一のボンズ・ヴェール

平成25年5月11日(土)
平成25年度徳島大学工業会総会記念講演

「チェルノブイリと宮沢賢治」

宮崎信也


 お題を「チェルノブイリと宮沢賢治」とさせていただいております。僕は、明治大学の野生の科学研究所、基本的には人類学というジャンルに入ります、文化人類学、アントロポロジーという学問を、中沢新一所長のもとで勉強しています。また、日本ペンクラブというものがあります。会長は浅田次郎さんです。その日本ペンクラブの環境委員会というものがありまして、その委員会の会長さんが、木枯らし紋次郎さんですね、中村敦夫さんです。一応、中村敦夫さんが、僕の仏弟子ということになっていまして、僕の一番弟子が作家の夢枕獏という人なんですけども、二番弟子が中村敦夫という師匠よりも二人の弟子の方が偉い人なんですけども、その中村敦夫さんが、環境委員に坊主も一人は入っとれということで、委員をやらせてもらっています。
そして今からちょうど二年二カ月前に福島の原発事故が起こりました。環境委員会ですから以前から原子力については色んな方から話を聞いていた訳ですけども、迂闊にも僕自身が、もうバビロン、もうこういう生活をしている限りは原発も仕方ないであろうというふうに、原子力についてタカをくくっていた部分がありまして、結構勉強したつもりでいたんですけども、徳大工業会の方には釈迦に説法ですけども、制御棒入れても冷やさないかんということは気がつきませんでした。伊方原発のプールを見ても、こんなに近くにあっても全然心配ないじゃないかという風に思っていたものですから、あの事故が起こったときにはびっくりしました。で、そのペンクラブでも、これは何とかしなければいけない、ということになって、日本ペンクラブとしてどのような活動をしたらいいのか。環境委員会というところで、福島に行ってもペンクラブはペンの力では何もできないのではないか?という議論になった。そこで何とか正確で正しい情報を知らせることができることはないかということで、中村敦夫さんと浅田次郎さんが中心となって、チェルノブイリに行こうじゃないかと。で、日本の事故の未来がチェルノブイリにあるんじゃないかと。
チェルノブイリ原子力発電所では今から二十七年前に事故が起こりまして、放射能が大量に放出されました。その現状というのは、やはりベールの向こう側にあって、全然わからないので、一応ペンクラブの名前があればチェルノブイリまで入れるんじゃないかということで、広河隆一さんというチェルノブイリの子供を救う会というものをやっている。チェルノブイリ事故に一番援助をした日本人のひとりです。放射能ということの危険性を一般人が知っているのは実は日本人が一番知っているんですね。残念ながら我々は被曝をしています。人類が放射能にさらされたのは広島、長崎、チェルノブイリ、福島の4回です。人類が大規模な放射能事故に遭遇した、そりゃスリーマイルもありますし、イギリスもありますし、あるいはハバロフスクの原潜、様々な事故がありましたけども、大量に明らかに放射能の被害を受けたという国は日本とウクライナだけなんですね。放射能の障害が起こったといっても目に見えませんから、チェルノブイリで事故があった時、世界中から放射能の被害に応援に行ったのですが、その中で日本だけは特別な気持ちで行ったのですね。それがいいことか悪いことかはよくわかりませんけども。
一応住職をしていますから、住職というのは文字通り住む職と書きます。明治大学とか朝日カルチャーに月に一、二回通わせて頂いているんですけども、必ず友引を選んで東京に通っています。一週間以上お寺を空けたら住職をクビになるんじゃないかと思って、中々腰があがらなかったんですけども、中村敦夫さんに、坊主も一人ぐらいはチェルノブイリに行って語る者がいないと駄目だと言われまして。今僕が明治大学や多摩美に籍がありますのは、若い頃から「資本主義の中で仏教は可能か」というのがテーマだったんですね。生意気にも僕は十七世の般若院の住職なんですけども、ちょうど学生時代バブルだったものですから、高度資本主義経済が、どんどん回っていく時代の中で、仏教というものが、果たして嘘をつかずにやっていけるかどうか、ということが非常に疑問だったんですね。で、何か嘘くさいじゃないですか、資本主義の中で「煩悩を捨てなさい」なんて(笑)。煩悩を捨てたら資本主義回っていきませんからね。だから若気の至りで、坊主の跡を継ぐのが格好悪いことだと思っていまして一応それをテーマに勉強してきています。しかし、若い時にはいろいろ先入観がありまして、資本主義についても先入観があって、仏教にも勉強をせずに先入観だけで考えていました。この三十年間、資本主義のシステム、社会システムというものと、仏教というものが、今この社会で何を言うことが可能なのか。嘘をつかずに仏教の教えをこの社会の中でちゃんと伝えるにはどうすればいいのかをテーマにやっていました。で、チェルノブイリに行って、皮肉ですけど回答が見えてきたような気がしています。そのことについてお話をしたいと思いまして、この「チェルノブイリと宮沢賢治」という名前を挙げさせてもらいました。というのも、チェルノブイリに行っている間、僕の頭にあったのは宮沢賢治のことだったからです。
宮沢賢治が亡くなって今年でちょうど80年になります。彼は1933年に亡くなっています。彼は大変敬虔な仏教徒でありました。『修羅の春』の話もそうですし、よくエジプトの「死者の書」というものがよく話題になりますが、我々日本人にとっての「死者の書」とは何か。日本人とは大変面白い民族でして、宗教という言葉は実は日本人にはないんですね。明治三年に日本政府が、「religion」という言葉、英語もフランス語も同じスペルを書きますが、これの翻訳語としてつくられた言葉なんです。それまでは「道」という言葉しかありませんでした。芸術も同じで、「art」という言葉の翻訳語です。我々にとって芸術と宗教が遠いのはそういうことがあります。しかし各家に仏壇があって、お墓参りに年に何回も行く民族もそう多くはありません。我々は宗教は信じていませんが、信心はあります。信心があるとはどういうことかというと、宗教は違っても皆行く所は一緒だと考えている節があるんですね。新宗教と伝統的な宗教の違いというのは、かなり大雑把ですけども、新宗教の場合では、普通の歴史的な「あの世」と違うところに行ってしまいそうな気がしますけども、宗教性が歴史性の中に埋没している我々の伝統的な宗教では、宗教が違っても、皆同じところに、皆さんそうでしょうが、友達が亡くなったら、わしももうすぐ行くからなと必ず言うと思うんです。キリスト教だろうと仏教だろうと皆行く所は同じという節があります。近代社会の中でその基本的な考え方を語ったのが、たぶん宮沢賢治だと思います。『銀河鉄道の夜』という宮沢賢治の童話は、日本人にとっての死者の書であると思っています。銀河鉄道が仏様の御迎えの列車でして、亡くなったら四十九日を旅をする、それが銀河鉄道の旅。お坊さんがお葬式で渡している引導というのは銀河鉄道の切符だと考えています。
しかし一方、宮沢賢治という人は科学者でした。近代科学によって東北の貧困を救えるというように考えていた人ですね。『グスコーブドリの伝記』というのは、今年アニメにもなりましたが、これは大変物騒な話で、冷害で苦しむ東北を、火山を爆発させてCO2を拡散させることによって温暖化させ、冷害から救おうという話なんです。宮沢賢治は古代から連なる自然信仰と近代的な科学技術信仰とに真っ二つに引き裂かれているんですね。伝統、自然というもの、宮沢賢治は「イーハトーブ」といって花巻の自然、岩手の自然を愛していたんですね。一方で、グスコーブドリのような科学もしますし、肥料というものを農民に教えようとして失敗する。しかし、農学校で学んできた宮沢賢治の知識よりも農民の方がよっぽど詳しかったことがあって、彼は大変な挫折を味わうわけです。そのことが今回の我々の抱えている問題までずっと引き継がれているような感覚を僕は持っています。その感覚を皆さんと共有するために、まず、一緒にチェルノブイリに旅をしてみたいと思います。
<以下スクリーンに画像を映しながら>





我々はウクライナの副大統領の紹介状を持ってチェルノブイリに行きました。これが国立放射線研究所の所長さんですね、通訳の方がおられまして、そしてメモを取っておられるのが中村敦夫さんで、これが「チェルノブイリの子どもたち」という被曝した子供たちへのボランティア組織のリーダー、この人が御主人でチェルノブイリ原発事故で実際に事故の収束作業に遭った当事者なんですね。当時はソビエト連邦でしたので、ボイラーの労働者が夫で熱科学者の妻というカップルがあったんですね。労働者が偉いわけですからソビエト連邦の場合。で、この二人はチェルノブイリの被曝者なんですけど、彼が実際に修繕作業に当たりました。チェルノブイリでは、チャイナシンドローム起こっていましたから、溶けた核燃料がもうどんどん地下に落ちて行っているんですね。まだ燃料はそのまま残っています。取り出すことは不可能だったんですね。で、どうやって事故を収束させたかといいますと、信じられないんですが、トンネルを掘ってですね、彼は液体窒素のボンベを背負って地下の地層や岩盤を永久凍土に凍らせて、チャイナシンドロームを防いだんです。こんなことを僕らは何も聞いてませんよね。こんな燃料コアに液体窒素を吹きかけるなんてとんでもない荒療治、そして決死隊です。軍隊と何も知らない労働者が、直径二メートルのトンネルを四方から地下に掘り、燃料と地下水に液体窒素を直接吹きかけて冷やして、そして事故を収束の方向へ向かわせました。





これがチェルノブイリの博物館で、キエフにあります。そこで見せられた、チェルノブイリの黒鉛炉の模型です。我々は黒鉛炉と聞きますと、沸騰水型と加圧水型の軽水炉とは違うと思っていますけども、基本的には同じです。これはとても大変な事実になるんですけども、基本的に石炭、石油、天然ガス、原子力を使おうと、湯を沸かせてタービンを回すという原理は同じなので、圧力容器の代わりに黒鉛炉があるだけで、左側のタービン建屋は全くチェルノブイリの原発も、日本の沸騰水型、加圧水型と同じ構造をしているということを僕も初めてここで知りました。チェルノブイリの場合、爆発しましたから、地下では労働者と軍隊が穴を掘って窒素を吹き付けていましたが、地上は全員撤退しています。原子力発電所はエリートが集まっていて、横にプリシャチというすごい近代都市をつくっていて、エリート中のエリートなんです。だから全員撤退しています。軍隊が投入されるわけですけども、鉛と土とホウ酸とかをヘリコプターで撒くしかなかったんですね。ヘリコプターの隊員はその多くが殉職しています。公にはなっていませんが、ウクライナは当時はソビエトの占領地でしたから、ウクライナの地元の兵隊たちは何も知らされずに、ヘリコプターで行って放射能障害で殉職していったわけです。思い出してみてください。あの事故の何日か後に、自衛隊のヘリコプター水を撒くときに、取りあえず危険は無い、メルトダウンは起こってないというのにも関わらず、二階からションベンをするような映像を覚えていられるでしょう。危険は無いと言っているにも関わらず、この事実を知っている人は知っていた訳ですね。危ない、行けば死ぬんだ、という。だからものすごく高度制限があり、あんなことしかできなかったんですね。もう本当にたくさんの人たちがヘリコプターで収束のために犠牲になりました。





これはチェルノブイリの事故の博物館での、広島の映像とチェルノブイリの映像なんですね。だから本当に広島、長崎を経験したにもかかわらず、福島を経験してしまったんですね。僕が徳島から来たと言ったら、お前大丈夫かと言われまして、福島と徳島ってスペルが一文字しか変わらないのでものすごく近いと思われたみたいですね。
ここにあるのが犠牲者の遺影です。表立っては公表されてませんが、放射能障害でものすごく多くの犠牲者が亡くなっています。これは炉心の模型です。そしてこれが兵士と消防士と発電所の職員、英雄、殉職した人たちの姿です。ウクライナは二回ソビエトの犠牲になっていて、ソ連に占領される時の写真です。ウクライナは、ナチスドイツによって侵されたわけではなく、ソ連に併合させられて、ナチスと戦わされたんです。ナチスがやってきたよりも、ソ連に収奪されて飢え死にした数の方が多かった、ということを書いてあります。次が、東北と同じで、ウクライナというソ連の辺境地に押しつけられたチェルノブイリ原発です。
上に世界地図があります。点々とある赤いライトが原子力発電所です。そしてこの部分が日本です。これだけの原発が存在しているんだということを示しています。