宮崎信也と中沢新一のボンズ・ヴェール







緑の坊主……決してピッコロ大魔王のことではありません。


グリーンアクティブの立ち上げに呼応して、仏教という人類が伝えてきた文化のなかから、今日のこの事態について考え、行動したいと、中沢新一先生と二人で作った場です。この文章が読まれているころにはブログ「le bonze vert」が立ち上がり、グリーンアクティブとリンクされているはずです。


遠くインダス文明に起源を持つ阿修羅や大日如来に象徴される「緑の思想」が、仏教の底流に脈々と流れていると感じます。阿修羅(アシュラ)、大日如来(マハー・バイローチャナ)はともに、太陽を象徴するものとして古代に生まれました。釈尊の氏族名「ゴータマ」は、「牛を飼い稲作をする者」という意味を持っていました。太陽の恵みのもと、ヒマラヤの雪解け水を引き、牛を使い大地を耕す者たちの伝えてきた智恵が、釈尊によって「仏教」としてブラッシュアップされたのです。


その言葉が広くアジアに伝播していくなかで触媒として働きかけ、さまざまな時代と土地の文化に、さまざまな仏教が生まれました。そのなかには自分の心だけがすべてであると考えるような人たちもいましたし、とても禁欲的な集団生活を大切にする人たちもいました。


また、森をはじめとする自然のなかで瞑想することで、自分の心と自然がシンクロして、初めて調和あるものとなると感じる人たちもいました。最澄の天台本覚思想から生まれた「山川草木悉有仏性」の考え方はその代表ですし、空海はそのシンクロ状態のことを「法然」(即身成仏義)と呼んでいます。「神仏習合」の思想もこの流れのなかで生まれたものではないでしょうか?


その仏教の触媒機能と同じものを、グリーンアクティブに感じています。


かつて20世紀に入って激変する日本社会のなかで、この考え方に興味を持った人たちがいました。日本の『死者の書』とも言える「銀河鉄道の夜」を書いた宮沢賢治や、「南方マンダラ」を提唱した南方熊楠がそうです。とくに南方熊楠は森が失われることに大きな危機感を抱き、その危機感を土宜法龍などの僧侶と共有し、とても革新的で未来的な仏教思想を生み出そうとしていました。しかし、残念ながら僧侶のなかではその思想は立ち消えになってしまいましたが…。


今、僕たちは熊楠が抱いた危機感と意志を受け継ぎ、未来につむいでいく必要性を痛感しています。なぜなら読者の皆さんと同じく、僕も昨年の大震災、原発事故、そしてそれがあぶりだした日本の現状に大変なショックを受けたからです。


僕は、地元で自然エネルギーファンドを立ち上げる試みを行なうと同時に、日本の未来を考えるべく、事故後26年が経過したチェルノブイリ原発を視察しにいくことにしました。まず、その体験のなかでもとくに衝撃を受けた事実について記したいと思います。それは森の汚染についてです。


地元医師の話によると、大気中に放出された放射性物質は風に運ばれ、雨などによって大地に降る以外は、森の葉っぱに吸着されます。まるでフィルターによって空気中のごみが漉し取られるように、森は風のなかの放射性物質を集めているのです。


事故から26年がたった今でも、森のなかで採取されるきのこには76000ベクレル(現在の日本の基準値の760倍)もの放射能を蓄えているものがあり、それを食べている猪や鹿の肉からは15500ベクレルの放射能が計測されているのです。原発事故によって放出された放射能はどこに消えるわけでもなく、四半世紀たった今でも森を汚染し続けているのです。


密教では地・水・火・風・空(この場合の空は「ヨーガ・つながり」を意味しています)を宇宙のシンボルとしています。この大地、水、太陽、大気が密接につながり調和した結果が豊かな森であり、その調和こそが人を導いてくれる――そう考えてきた密教にとって、放射能によって調和に大きな亀裂を生じてしまったのです。


もはや、瞑想をしているだけでは心の調和は得られません。今までの仏教では、放射能は「想定外だった」のですから。仏教は南方熊楠の提起した課題を引き継ぎ行動することによってのみ、21世紀の宗教として意味をもてるのかもしれません。


これからの未来、私たちは粘り強く原子力のもたらした「物」、原子力をもたらした「者」と向き合っていかなければなりません。そのためには宗教だけではなく、経済や科学技術をも含んだ、大きくて柔軟な思想が必要でしょう。(廃炉のためには社会全体の意志と莫大な費用と技術、労力が必要であることをチェルノブイリで実感したからです)


機会が与えられるのなら、チェルノブイリが語り続ける事実を具体的に取り上げながら、その亀裂をも修復できるような一緒に仏教を考えていきたい、そう思っています。


*日本ペンクラブ「チェルノブイリと福島の子供たちを救う使節団」とともに
2012年4月17~23日、チェルノブイリを中心にウクライナを訪れた。